【原文】
顕 示 難 行 陸 路 苦
信 楽 易 行 水 道 楽
『教行信証』行巻 正信念仏偈
【読み方】
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ
七高僧のお一人『龍樹大士』
親鸞聖人が私たちに伝え示して下さった「正信偈」は大きく二つの部分によって構成されています。前半は、「依教段」と言われ『仏説無量寿経』に依って明らかにされている浄土往生の正因について説明し讃嘆しています。後半の部分は「依釈段」と言われ、インド・中国・日本でこの教えを正しく伝えた七高僧の業績・徳を讃嘆しています。その七高僧の一人『龍樹』という菩薩について、釈尊は後の世に『龍樹』という菩薩が出られるであろうと予告されました。龍樹大士は、この上なくすぐれた大乗の法を世間に説き明かされ、そしてやがては阿弥陀仏の浄土に往生されるであろうということ、このような予告を釈尊がなさったのです。これは『楞伽経』というお経に説かれているものです。
仏道には2つの道がある
龍樹大士はいくつかの著作を残しておられますが、その中に「十住毘婆沙論」があります。これは『華厳経』という大きなお経の「十地品」という章の教えを解説した「論」で、ここに「難行道」と「易行道」のことが述べられています。仏道を歩むのには困難な道と易しい道、二つの道があると説かれているのです。「難行道」は、自分の歩く力をたよりにして、険しい陸路を進もうとする「聖道門」の修行を喩えたものです。一方の「易行道」は、阿弥陀仏の本願という船に乗せてもらって、安楽に浄土往生に導かれるとする「浄土門」の念仏の教えです。つまり、龍樹大士は難行の陸路は苦しみでしかないことを明らかに教え示されて、水路を進むことは易行であって、それは楽しくてうれしいことであることを私たちに信じさせ、私たちにその易行の道を願わせようとしてくださっているのだということです。親鸞聖人は、そのような龍樹大士の徳を讃えて、大士の教えを大切に受け止めるよう私たちに教えておられるのです。
難行か易行か
おそらく、龍樹大士は自分の努力によって悟りを得るために命がけの修行に励まれたことでしょう。しかし励まれれば励まれるほど、自分の力の限界、自分の弱さ、自力を尽くすことの虚しさ、それを痛切に思い知らされるようになられたのではないでしょうか。その時に、阿弥陀仏の大慈大悲によってはたらきかけてもらっている本願他力の教えに辿り着いたのだと思います。ですから、難行と易行と二つの道があって、そのどちらかを選びなさいという教えではないのです。自力難行の行き着く、その絶望の果てには、他力易行の教えしか残っていなかったということを教えてくださったのです。
迷わずに易行を信じて生きる
私たちは、「五濁の悪時」といわれる世の中に生きなければなりません。五濁の世においては、時代社会そのものが濁っている上にその社会を生きる私たち自身もまた濁りきっていると教えられています。
そのような現実の中で、我々(衆生)は自らの努力によって平和を実現しようと願いながら、そのために争いを続けています。自分の幸せを求めながら、そのことによって、不安や苛立ちを背負いこんでいます。 このような時であるからこそ、愚かな凡夫の「はからい」をやめて、この私を何とかして安楽にしてやりたいと、願われている願いに謙虚に身をゆだねられるような自分になりたいと思うのです。